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チベットショップ奮闘記

自由ヶ丘でチベットに関するグッズを売るお店マニマニを経営する店長とスタッフ達の奮闘記。 日々の出来事、お店の最新情報、旅のエピソード、 チベット周辺に関わる情報交換などなど

チベットでヒッチハイク旅行14

チベット人のほとんどが敬虔な仏教徒で、
仏前で一心に祈る姿や、五体投地で彼方の地へと
巡礼する姿には無条件に心を打たれる。

だがこの旅行で実感したのは、彼らは決して
死後の世界だけに、言い換えれば来世だけを頼みに
信仰しているわけではない。
それは彼らの働く姿、家庭での営み、
そして人に対するときの目を見れば分かる。

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彼らはおおむね実質的な民俗である。
因習的なことを頑なに守ったり、
非科学的な伝承を信じたりもするが、
基本的には現実を見つめて生きている。

日々の暮らしの中で善行を積む、
一生懸命働く、といったごく当たり前なことを
実践しようとしているのだ。

場所や時代がかわっても
人間の欲望や悩み苦しみは差ほど変わらない。
それぞれの立場や状況で多少の違いがあるだけだ。

そう考えるといくつか棚上げにしていた
自分自身のこともおぼろげに見えてきた。

そしてこの先の旅の方向もチベット人に教えられたような気がした。

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おわり

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チベットでヒッチハイク旅行13

待ち時間に比べるとあっけないくらいの
船旅を終え上陸する。
あとは一直線にサムイェ寺に。

巡礼者の宿泊所となっている界隈で唯一の宿に
荷を降ろしてからは境内を散策する。

この寺院は宇宙全体を表しているそうで、
上空からはマンダラのように見えるらしい。

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巡礼者たちは時計回りに境内の外周を
何度も何度も巡る。これをコルラという。

持参したバターの袋と数珠(テンガ)を手にコルコル。
本堂ではもちろん、小さなお堂の中にも入っていって、
灯明にバターを供える。

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このサムイェ寺も他の寺院同様
文化革命の折破壊され、創建当時の建物はほぼ壊滅した。
私が旅行した当時は再建中だったが、
ピカピカの本堂はほぼ出来上がっていた。
古刹のイメージとはずいぶん違う。

このサムイェ寺には見事な壁画がたくさんある。
床上から天井まで壁面いっぱいに描かれた仏画が
四面を取り囲む。

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美しい天上界や恐ろしい地獄が
これでもかというボリュームで圧巻だ。

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そしてこの壁画を描く作業する人々の姿を見る。
どうやら壁画の修復のようだ。

日本の寺院では考えられないことだが、
仏に捧げられた絵が褪せてくるのはいけないことなのだ。

かくして枯れてきた壁画は容赦なく塗り替えられる。
旅行して何度も実感したことだが、
世の中にはいろいろな価値観がある。。。

それにしてもここに描かれる地獄の絵は生々しい。
地獄の門番に憤怒の形相の仏。
生皮を剥がれた人間が天井からぶら下がる。

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これを見たら誰もが地獄を恐れるだろうな。
できれば天界に、叶うなら仏界にと。。。

でも、死後の世界に活路を求めてもしょうがない。
今を乗り切って、今よりちょっと先に希望を持てなければ
信仰なんて意味がないと私は思う。

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つづく

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チベットでヒッチハイク旅行12

その昔パドマサンババという行者がいた。
チベット人の間ではグルリンポチェの名で尊称される。

インドより飛来し、チベットに仏教をもたらしてくれた
大変ありがたい行者様である。
飛来したという伝承を取ってみてもわかるように
人間離れしてるのだ、行者様だから・・・

この方が開祖となり開いたのがチベット仏教ニンマ派の
総本山サムイェ寺である。ニンマとは<古い>の意味で、
この寺の建立は763年にまでさかのぼる。

サムイェ寺



もともとチベットにはポン教という土着の宗教があり、
呪術的な色合いの濃いものだったが、
仏教の伝来以降はうまくそれに融合しながら、
自身の生き残る道も見つけたらしい。
もちろんポン教は現存する。

というわけで、ここまできてこの古刹を
訪れないわけには行かない。
牛に引かれて善光寺ならぬ、ヤクに引かれてサムイェ寺!

ラサからバスとフェリーを乗り継ぐとロンプラ(*1)
に書いてあったので、その通り一泊かけて
ヤルツァンポ川の船着場にたどり着く。

もうその周辺にたむろしているのは同じく
サムイェ寺を目指す巡礼者たちなので
彼らについて行けば間違いない。

巡礼者



その時はまだ船影は見えなかったが、
周りの人々と同じように
船の来るのを待つしかないので
あせらないことにした。これもチベット式。

みんな川原に座り込んで荷物を広げだす。

あ~~、ここでもやっぱり宴会ですか。
ポリタンクにチャンをしっかり仕込んできてる・・・・
あれよあれよという間に車座の中に誘われる。


こういう時一人旅はいい。
相手に警戒心を与えず、すぐ親しくなれる。
ついでに甘え上手にもなり、
勧められるままにチャンもいただく。

が、本来チベット人のマナーとしては、
招かれても最初は遠慮して丁寧に断るのが普通。
相手の執拗な勧めに折れてようやく
「それじゃぁ少しだけ・・・」
という運びになる。

おかわりの勧めがきても、まずは
「いや、もう充分です」と断るのが礼儀で、

「そうおっしゃらずに半分だけ・・・」
「いえいえ、本当にもう・・・」
「じゃぁ、ほんのちょっとだけ」
といった応酬が続くのである。

ま、これはラサ周辺地域や洗練された人々のマナーとされてるようで、
田舎、特にカムの方へ行くともっとストレートなやり取りになるらしいが・・・

宴会はだんだん熱気を帯びてきて、歌まで始まった。

またもや宴会



隣のおばちゃんはさっきから私の服装を見て
寒くないのかと心配してくれている。

フリースの上着を着込んでたし、
チャンをいただいてるので寒くはなかったのだが
おばちゃんはどうしてもおせっかいを焼きたいらしい。

自分のかばんからチュバを取り出し、これを着ていろという。
チュバというのはチベット人の民俗服のことで、
女性用はロングのワンピースドレスだ。
袖なしになっていて、下にはブラウスを着るから
ジャンパースカートといった感じ。

おばちゃんのは毛織のがっしりした生地で確かに温かそうだけど・・・
一瞬躊躇したが、おばちゃんの好意を無にしたくない。
それにこの場は座興としても一役買うしかなさそうだ。
チャンのお礼に・・・
意を決すると、後はおばちゃんの着せ替え人形に。
周りのやんやの喝采を浴びて乗りに乗ったおばちゃんは
パンデンまで私に取り付けた。
パンデンとはチベット女性の象徴ともいえるエプロンで、
これをもってこのコスプレは完成を見る。

チュバ着て・・



まあ、長旅の末私の顔も年季が入ってきたというか、
こういう衣装を着るとまるで土地の人と見分けがつかない。
気恥ずかしいやら誇らしいやらで顔が火照る。
あ、これはチャンを飲みすぎてるってことか・・・?

そうこうするうちに船が見えてくる
(舟だな~、どうみても)

大急ぎで宴会撤収。迅速な行動で(とはいかなかったが)
30分後には船上の人となる。

続く。。

船の中


*1) ロンプラ
<ロンリープラネット>という旅行ガイドブック。
当時<地球の歩き方・チベット>はまだ出版されていなかった。




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チベットでヒッチハイク旅行 11

ある日私は決心した。
ガンデン寺を見物に足を伸ばすことにしたのだ。
ラサから東に40KM。 一泊で行ってこれる距離。

ラサでもそろそろ退屈していたので丁度よい。
T芝君も行くというので、これまた楽しくなりそう。

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ヒッチハイクしたトラックに揺られてあっという間だったが、
「ここだよ」と下ろされたのは丘の麓だった。
そこから見上げると、目的地は遥か彼方。
丘の高さは数百メートルといったところだろうが、
自分達の立っている場所がすでに標高4,000m以上あるので
かなりきついハイキングになるのは自明の理。
だが自分の足で歩いてゆくしか方法は無いのだ。。。

九十九折りの道をとぼとぼ登り始めるが、
距離がぜんぜんはかどらずじれったい。
ショートカットを試み斜面を垂直に登ってみるが、
五歩も登るともう足が止まる。

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そんなことを繰り返しながら
やっとの思いで頂上に立ったときは、
二人とも崩れるように地面にへたりこんだ。
予定にはなかった苦行がこんなところでも
私達を迎え撃ったのだ。
ひゃぁ~~~~~~~~。

一息ついた後堂内を探索してみる。

ガンデン寺はツォンカパの建立した由緒あるゲルク派の僧院だか、
文化大革命のときに激しく空爆され、廃墟と化した。

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この時(94年)すでに修復作業が始まっていたのだが
まだまだ完成には程遠い印象を受けた。
瓦礫の山を前に、十数人の男女が作業している。
作業は全て人力に頼り、見るからに効率が悪そうだ。

だがチベット人の、大いなる精神のよりどころである
寺院の修復は民族の悲願でもある。 
黙々と作業する人々の姿に心を打たれる。

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その夜は境内の中の宿坊にご厄介になることに。
宿坊といっても、そこは無人の小屋と呼んでも
差し支えないような建物。

マイ寝袋と自分の体温が唯一の暖。
晩御飯はアーミーのビスケット。
電気も通ってないので、日没と共に寝ることに。

<お休みなさい。。。。>

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続く・・・・








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チベットでヒッチハイク旅行10

ある日の朝、
「ノルブリンカで何かイベントがあるらしいよ」と誘われる。

かつてダライラマ法王の夏の宮殿とされていた
ノルブリンカの庭は、ピクニックをする
大勢の人でごったがえしていた。

ノルブリンカ



チベット人たちは本当にピクニックが好きだ。
ポリタンクにチャン(ドブロク)をたっぷり用意し、
お菓子やドライフルーツ、干し肉に乾燥チーズ。
芝生の上で輪になって、歌ったり踊ったり。
それはそれは本当に楽しい。

私は以前ネパールでも、チベット人の友人一族に招かれて
ピクニックを経験したことがあったが、
やはりここチベット本土でもチベット人達と
ピクニックで交流ができてうれしかった。
招かれるままに、宴の輪に溶け込む。

ピクニック2



外地で暮らすチベット人に比べ、政治的緊張のある本土では
チベット人が外国人と個人的な交流をするのは制限されているはず。
だけどこの日はみな屈託のない笑顔で、飲んで歌って大いに笑った。

ここでもウクレレ君は活躍してくれた。
私達は、彼の伴奏で日本の歌を披露したりして喝采を浴びた。
そして今度はチベット人のおばさん達が歌のお返し。
日本の民謡にも似た感じで、こぶしをまわして喉を鳴らす。 
チベット女性の声は艶があって伸びがある。
どこか懐かしいような感覚にとらわれ聞き惚れる。

<あ~、至福の時が過ぎる・・・・>


    **********

チベット人は畑仕事の合間にもチャンを飲む。

以前散歩の途中で声をかけられ、見るとそこでもポリタンク。
畑の中で車座にすわって頂いたチャンはまた格別だった。


そういえば、ラサに着いたばかりの頃
T芝君とこんな会話をした。

「 西蔵麦酒といううまい酒がチベットにはあるらしいですよ 」
 
「シーザン・ピーチュー? どこで手に入るの・・?」

「チベットのどこにでもあるって聞いたけど・・・・」

ラサの食堂などをさんざん二人で探し回った後分かったのは、
それは<チャン>を指す中国語だったということ。
 
ピクニック



確かにチャンはどこででも手に入るが、
質を問えばピンからキリまであり、
美味しいチャンに出会った時はそうとう危ないのだ。 
すすめ上手なチベット人のお酌でついつい度を越してしまったことは
一度や二度ではない。


続く

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チベットでヒッチハイク旅行9

しばらくご無沙汰をしておりました。
久しぶりにラサでの思い出にふけりました秋の夜長。。。


ラサで楽しかったことといえば、
日本食のレシピをチベットレストランに伝授したこともそのひとつ。
ヤクホテルのすぐお隣のレストランには
モモとトゥクパを食べによく通った。

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 ある日のこと、

「日本食をメニューに入れたいんだが、何か教えてくれないか・・・」

 と、オーナー夫妻に持ちかけられる。

素直にうれしい。 
よくぞ私を選んでくれました! こう見えてもお料理大好き。 
食に関する好奇心が旺盛なのは
ここのご主人夫妻にも見抜かれていたのだろう。

なんだかワクワクしてきた。
旅が長くなってくると、こういう日常的なことに飢えてくる。
そういえばお料理、長いことしてないな~。
何作ろう。。。。

で、暇な私は請われるままに早速キッチンへと。
ところが、何を作ろうかなどと迷う必要はない。
というよりそんな贅沢は許されないことをすぐに知る。

台所にある材料を見て、あらら・・・
そういえばチベット料理に使う材料ってこんなもんよね。
ヤクのお肉。 玉ねぎ。 ジャガイモ。 小麦粉。 ツァンパ。 卵。 
以上。

ん~、こりゃぁもう<カツ丼>作れと
天の声が聞こえてるようなもんだ。
王道だけど、腹減らしのバックパッカーには喜ばれるか。

ganden



そうと決まれば結構手早い方。 
幸い冷や飯が残っていたので、ご飯を炊く手間は省けた。

ヤクの肉は塊から切落としてる段階で臭いが鼻をついた。
料理に入ってるヤク肉を口にするのはやっと慣れてきたけど、
生肉の臭いもこんなにすごいとは・・・・

恐るべしヤクの怨念。
死んで食肉になってさえもまだ、喰われないように抵抗してるのだ。
果たしてカツになった時のお味はどうなんだろう・・・

不安だったので、すりおろしたしょうが汁をかけておいた。
臭い消しに酒がほしいところだが、チャンで代用するのは冒険が過ぎる。。。

チベットでよく朝食に食べる丸いパンケーキがある。
冷めるとぼそぼそで味も素っ気もないのだが、
今日はこの場で見事に復活を遂げることに。
おろし金でゴリゴリやるとあっという間に変身。
パン粉となって第二の人生を生きることに相成り申す。

ま~、欲を言えばきりが無い。かつおだし、酒、しょう油。
どれも日本食に欠かせない三種の神器だが、このうち手に入るのはしょう油だけ。
水でのばして、砂糖を入れてつゆにする。


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これまで何の質問も、口出しもしなかったご夫妻だが
肉に衣をつけて揚げる段になったら、

< あぁ、な~る・・・・ > といった顔つきでうなずいてる。

「中華料理の厨房でも見たとこがある」とご主人。

<まだまだ、これからよ・・・・> 
と、私はクライマックスに向けての手順を反芻する。


つゆ、玉ねぎ、カツの順に小鍋に投入。
ぐらぐらきたところに溶き卵をサッと流し込み、
ばっと蓋をする。

<卵に火を通しすぎてはいけない> この一点に気持ちを集中させる。


その一連の動作をご夫妻はまたもや静かに見守っている。
そして頃合を見て火を止めた私の目を見て
おばさん、こっくりとうなずいてみせる。

料理人として何か感じ入ることがあったのか・・・
何しろチベット料理には全く無い発想だ。

蒸して温めておいたご飯の上に
ヤクのカツを盛り付けると、まるで玉座に鎮座する
大ハーンのようだ。

<ふむふむ、見た目は上出来> 私もうれしい。

出来上がったヤクカツ丼は早速ご夫妻に試食していただいた。
ところが、甘いつゆの味に慣れてないせいか
ちょっと戸惑ってる感じがする。

「 シンブドゥ、シンブドゥ 」(美味しい、美味しい)

 と褒めてはくれるのだが・・・

おそるおそる自分でも食してみると、
これがまた信じられないほど美味しくできている!

手前味噌で申し訳ないが、あの臭みのあるヤク肉が
こんなに素敵に変身するなんて、ブラボ~~~! だ。

調子に乗った私はその後ご主人に市場で鶏肉を調達してきてもらい、
親子丼まで披露した。
その頃には噂を聞きつけたヤクホテル滞在の日本人数名が
集まってきて早速注文が入る。
結局その日は夕方まで厨房で働くことに。

カーラチャクラ



これからこの二品の日本食がはるばる日本からやって来る
旅行者のお腹を満たすと思うとうれしくなる。
(果たしてそうなったのかどうかは未だ不明だが・・・)

チベット料理は基本的に塩味のシンプルな料理だ。
材料も限られているので手の込んだ美しい料理などは無い。
遊牧民などは家畜を絞めた時は肉食が続き、
肉が無くなればまたしばらくは野菜だけの生活になると聞く。

もっともラサは別格で、私が旅行した94年頃でも雲南省などから運ばれる
野菜が市場を埋め尽くしていたので、
今現在はさらに豊富な食材が手に入るのだろう。
ただ、家庭で作る伝統的なチベット料理といえば相変わらず
シンプルなものなのだろうと想像がつく。

そろそろ秋も深まり、熱々のトゥクパなどが恋しく思われる
今日この頃である。

続く・・・


<トゥクパ>日本のうどんやスイトンのようなもので、
肉と野菜の入ったスープで小麦粉の麺や団子を煮込む。
平たいきし麺のようなもの、ニョッキのようなサイズの団子、
小指の先くらいにちぎった団子など様々だが
呼び方も変えているところが面白い。
私はテントゥクと呼ばれる団子の入ったものが好きだ。
材料は同じでも、形状やサイズで呼び方を区別してるところは
イタリアのパスタのようだ。

<モモ>
モモはチベットの餃子のことで、もちろん中国から伝わってきたもの。
蒸したものが一般的だが、冷めたものを翌日油で焼いたり、揚げたり、
スープに入れたりとこれも餃子と一緒。 
チベットでは主にヤク肉を、ネパールでは水牛や鶏肉などでも作る。
トマト味のソースや唐辛子と塩で食べたりする。 
日本の餃子と違うのは、お肉がしっかり入っていて味にパンチがある。 
ご飯のおかずとして食べずに、モモだけをお腹いっぱいになるまで食べるのだ。 

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